日本国・大和民族は何故アジア文化圏ではなく欧米文化圏の中で生きて行こうとするのか? 最終稿

「華夷秩序に拒否感を抱く日本人」2018-01-04

現在の日本において「保守」や「リベラル」と自称している人達が多数いるが、国際的定義での「保守」や「リベラル」として自他共に認められる人達がいったいどれくらい存在しているであろう。ざっと見渡して見ても、定義を履き違えている人達が殆どだと云えるのではないか。最近、安倍総理が「私はリベラル」と発言したとあった様に国際的な定義の括りで考えれば、日本におけるリベラリストは安倍総理なのではないであろうか。

「改革・革新」がリベラルの定義であるならば、日本国を改革・革新的な政策推進で変えようとしているのは、安倍総理だからである。当然これは良いものも悪いものも含んでのことであるのだが。… そして野党の多くの議員は、主張や行動が戦後からの「自虐思考・悪の枢軸・侵略国家等」の負のイメージを持ったままの日本国を保持しようとしているだけだと云う事もよく解る。この様な人達は、借りて来たイデオロギーを隠れ蓑にしているだけの、只の「反日」だと云う事なのではないのか。こういった人達がリベラルだと一括りにされてしまっている日本は、文明・文化は西欧圏に属してはいるが社会的理念、思想といったものは、まだまだ成熟されているとは云えないであろう。

現在、欧米諸国においての象徴的な事案として、米国にナショナリストと云われるトランプ大統領が誕生した事が挙げられる。そして西欧文明圏の価値観と並ぶ「寛容思慮」の信条が大きく揺れている。頻発するテロリズムと移民・難民の流入によっての反動から、英・独・仏・オランダ・オーストリア各国に、ポピュリズムを帯びた政治勢力が台頭して来た。

数年前、国際政治学者のG・J・アイケンベリーが非常に興味深い論文を発表した。

一部抜粋

「リベラルな国際秩序を存続させようとするならば、それを支持する世界中の指導者達と有権者達が段階を上げる必要がある」安倍晋三(日本首相)とアンゲラ・メルケル(ドイツ首相)に「リベラルな国際秩序」の守護者としての役割を期待したけれども、安倍はともかく、メルケルは去る九月のドイツ連邦議会選挙を経て政治苦境の最中にある。今や、昔日には「政治は三流」と揶揄された日本を仕切る安倍だけが、「リベラルな国際秩序」の孤塁を守っている状態なのである。

抜粋以上

このように、彼もまた安倍総理をリベラルだと論じているのだ。

歴史は繰り返される……

第一次世界大戦、ロシア革命から世界大恐慌が起きた1930年代も、西欧文明世界は、民主主義や自由などの信条が大きく揺れた時代であった。共産主義思想、ファシズムが浸透した時代情勢の中でも彼等は、自由、民主主義に裏付けられたデモクラシーを生み出した自由資本主義の信条に支えられて来たのである。そして、こういった動揺からも挫ける事無く自分達の信条を貫き、最終的には近代文明・文化を構築して来た文明人達と共に、国家の再建を果たしたのだ。西欧文明・文化圏に属していた人達が資本主義文明・文化だけが「我々の生きて行く圏域(生きる場所)」だと考えていた証左だと云うことだ。わが日本でも、明治以降の資本主義の発展が、江戸時代以前の封建体制を受け継いだものである事は疑う余地がない。ファシズムや共産主義と云った思想が、日本人が築き上げて来た文明・文化には決して相入れないものであった事は現在の世界情勢の流れの中で「支那の台頭、米国の衰退、欧州各国のナショナリズム化」が表面化した事によってより鮮明に浮かび上ったのである。

こういった事に直面している、21世紀の当代わが日本人は、今より尚一層の自信と勇気を持ち、決してたじろぐ事無く「自分の生きる場所」を守って行く知恵を絞り、この世界の激動期を乗り越え邁進して行かなければならない。