令和元年・陛下・総理の靖國参拝はあるのか??

本年も八月に入った。毎年のことではあるが八月十五日が近づくと総理あるいは陛下の靖国神社参拝が行われるか否かが問題となる。私の令和元年での初参拝は五月に参ったと過去ログでご報告させて頂いた。私見ではあるが、今回も安倍総理の靖國参拝は叶わぬであろうと考えている。総理の参拝が叶わぬのなら陛下が参拝されることも考えられない。

•昭和二十年、終戦後初の天皇皇后両陛下の慰霊参拝

元号が令和に改まり、米国との関係も過去にないほどの良好な状態であり、支那は米国との貿易戦争によって疲弊し、香港では自由を求める市民による大規模デモに未だ終息の見通しが立っていない。そして、二日には韓国をホワイト国から除外する閣議決定がなされた。どのような場合であろうが内政干渉し大騒ぎする不愉快極まりない隣国が存在しているのである。今回は比較的行き易い環境にあるとも云えるが。…

国家のために殉じた方々が祀られた靖國を、もしわが国の代表者が無視しているのであるとすれば、これほど悲しいことはなく、世界的にも稀な事象である。尤も、総理や陛下が英霊が祀られた靖国神社を全く無視しているわけでは決してなく、陛下は靖国神社の祭事に勅使を送られており、また総理も玉ぐし料を奉奠していることから、実際には英霊が国によって無視されているわけでは決してない。

戦後GHQが、わが国に政教分離主義を導入したことによって、総理大臣の玉ぐし料奉奠については国内の一部で日本国憲法の定めに反するという意見があり、現に訴訟も提起されているが、これはわが国のそれと欧米の多くの国と異なり、国家と教会ではなく国家と宗教の分離と解されていることに起因しているものと思われる。米国の連邦憲法には政教分離主義の明文規定はなく、国教の樹立が禁止されているに過ぎない。ところが、GHQによるいわゆる神道指令はわが国に「国家と宗教」の分離を命じ、その実わが国と伝統的神道(神社神道)との分離を命じたのである。わが国の司法は「神道指令」の影響を受けたのか、日本国憲法の政教分離主義を「国家と宗教」を分離するものと解したのだ。しかしその際、最高裁が「宗教」の定義を行っているわけでないから、実際には国家とどのようなものとを分離するのかは厳密には不明である。

日本国憲法11条や97条で不可侵永久のものとして規定された基本的人権について、故宮沢俊義法博は「自然(あるいは自然法)」あるいは「造物主」によって与えられた、あるいは信託されたものと説くが、自然あるいは自然法が動的な存在ではないことや日本国憲法がGHQによって起草されたことからすれば、基本的人権は間違いなく「造物主」によって与えられたものであろう。と云うのも、基本的人権を一般的にだが、より具体的に定め故水木惣太郎法博が「憲法の憲法」とか「憲法の生命」と評した日本国憲法13条は「生命、自由および幸福追求権」について規定しているが、それはGHQが米国の「独立宣言」をもとに規定したところであり、その「独立宣言」は「生命、自由および幸福追求権」について造物主によって与えられものと宣しているからである。と云うことは、日本国憲法も造物主と一体の憲法ということになる。日本国憲法自体が宗教から分離されていないのである。と云うのも、その造物主の教義の下に信徒を有する者たちの集まりこそ、元々紛れもない宗教とされているものだからである。

これに対してわが国には教えと信徒をもつものとして仏教が存在したが、伝統的な神道には教えもなく、したがって、信徒もいなかった。明治に入ってキリスト教の宣教師たちも学者や政治家もそれを宗教と思ってはいなかった。わが国民はかなり早くから仏教徒になったが、教えがある故に解釈の違いから宗派が生まれると、伝統的な神道は教えが無い故に宗派の異なる仏教徒も共に集える場所となった。国に貢献した英霊を祀る場が神道のかたちをとったのは宗派的対立を超克する明治人の知恵でもあった。靖国神社はそのような国民の自然の産物であったのだ。それ故、その靖国神社に戦後も多くの総理大臣の参拝はあった。いわゆるA級戦犯を祀った後でさえも支那、朝鮮からの苦情はなかったのである。

しかし、支那、朝鮮は総理大臣の靖国参拝を違憲とするわが国の売国奴たちの入れ知恵で、その参拝を問題視すれば、わが国に対して政治的優位に立てることを学習した。その支那、朝鮮の問題視を解決させるための一助としてもか、ブッシュ大統領が靖国参拝を申し出た際、小泉純一郎元総理はそれを実現させなかった過ちを犯した。それでも、その小泉総理の在任中の参拝で、その問題視も終焉するかと思われたが、安倍総理がその学習効果を蘇らせてしまったのだ。これ以降、堂々と靖国参拝をする総理大臣は存在しなくなった。

今年も総理の参拝を求める声は高まろう。しかし、憲法問題や対韓関係はともかく、支那共産国の学習効果利用を思い計り、外交では歴代総理にない動きを示して来た安倍総理の参拝がなされることはないものと考える。