天皇制・大統領制

本年11月10日、即位の大礼が執り行われ新たな天皇が誕生した。"令和"時代の幕開けであった。

実に30年ぶりのことである。

国民が「祝賀御列の儀」に大挙し、そしてまた、大嘗祭の様子の一部がTVやネットで実況されていた。

米国でも再来年は、新たな元首が誕生する。トランプが大統領として再選されたとしても、それは以前と異なる選挙に立脚した新たな大統領であり、したがって、新たな元首なのだ。

ウォルタ-・バジョットは、英国の人々にとっては…

「4年か5年に一度ずつ、折角拝んだ国の元首の首をすげ替えるといふことは、由々しい一大事である。」

『英国の国家無構造』

と述べたが、同様の感懐は他の殆どの立憲君主制の国家の国民にも通有したところであろう。それどころか、韓国のように熱狂し、ローソクデモまでして選んだ元首を未だ3年も経たないうちに辞職に追い込もうとする大規模デモが頻繁に起きた。それ以上に「我らが元首」と崇めた人物を問責し、その辞任後断罪するともなれば、一部の共和制国家の元首の軽さに呆れる者は少なくあるまい。

ドイツ人は政治的な知恵がある。大統領をほぼ……

「君臨すれども統治しない」・・

いわば短期の民主的な君主制に準えたが、定期に挿げ替えられるその元首に重みが感じられないことでは、他の大統領と同様である。それは大統領たる元首を見る外国人の評価においても顕著であり、平成23年11月、ワンチュク・ブータン国王が来日し、そのほぼ1ヵ月前にはヨハヒム・ガウク・ドイツ大統領が来日し、ワンチュク国王とほぼ同じ期間滞在したが、米国大統領や韓国大統領に対するような毀誉褒貶の評価こそ無かったものの、後者に対するわが国民やマスコミの注目度には格段の差があった。

ワンチュク国王については、かなり注目されていたが、ガウク大統領については、その来日についても知らなかった者が多かったようである。

・ワンチュク国王

・ガウク大統領

大統領制のドイツと異なり、国の権威と権力とを併せ持つ米国や韓国等の大統領は民主的選出ということで政治的合理主義者には就任に至る手続きについて評価されるものの、国益中心で現実に目を向けるトランプ大統領のような例外はあるものの、その実「実しやかに実現し得ない理想を安売りし、現実の汚点を針小棒大化して声高に叫び、他に正義を期待する人々を大量に上手く惹きつける」政治的詐欺師的な才に長けた者の獲得物である。

"Yes,Wecan

と声高に叫び、国民を酔わせ、核兵器廃絶を口にしてノ-ベル平和賞を手に入れながら核兵器のために総額1.2兆ドルを超える額を投じ、ISを蔓延らせ、中華人民共和国の南シナ海や東シナ海への侵出を誘発するなど、世界を不安定にしたオバマ大統領の如きは魔術師的な政治的口舌の徒であったと言えよう。

この種の大統領の評価は、常に何をやったかによって評価され、それも多種多様な考え方が存する人々の評価は党派的に分かれ、常に分裂的に現れる。

自己を政治の主体と考える民衆は、自己を理性的な存在と評価し、多くの場合、自己の考えを世のあるべき姿と考え、自分の考えに反する考えを過ちと考え、自己を不利にした政治をすべて悪政と見なすのだ。

それ故、大統領の正しい評価が冷静になされるには時間を要するのである。現実の大統領が好悪の対象とされることはあっても、大統領が尊敬や神秘を帯びるようになることは現実の利害から遥かに遠ざかった過去の大統領についてなのだ。

これに対して君主は政治から超越した存在なのである。

しかも、多くの場合、制度的に長い歴史を有する。その歴史の長さは制度的に神秘性や国民の尊崇敬愛と繋がっている。およそ人々は常に合理的に考え、振る舞っているわけではない。他人の喜びを喜びとし、悲しみを悲しむのは非合理の感情のなすところだ。

パレ-ド中の雅子皇后陛下の涙に「もらい泣き」した者は少なく無かったであろうが、合理主義者には(自分の利害と関係ないという理由で)不可解なことであろう。

しかし…

人々は不合理を嫌悪しても非合理にも生きるものだ。

人々はしばしば古ければ古い程関心を示し、評価しようとする。こんにち多くの縄文土器より役に立つ良い土器を造る人は多い。しかし、博物館に飾られるのは縄文土器なのだ。

人たちはしばしば、自分がなれない存在であればある程関心を示し畏敬を示す。大臣など遠い尊敬すべき、なることのできない存在であったが、友人が大臣になった頃から大して評価しなくなった。人々は一見何でもなくても稀有なものには非常に注目するのである。

富士山の美しく奇麗な石より、見栄えもしない月の石には群れをなすのだ。抑々すべて人々の平等に基づく合理的な民主社会では、すべてが対等意識で評価すべき人物が少なくなる。それ故、その社会は社会を自然的に統合する象徴的存在がなく分裂し易い社会になりがちであるのだ。トランプ大統領の米国も文在寅の韓国も、世論に余りにも激しい対立が存在する。

わが国には、人々の利害損得から超越した歴史が長く血族が限られ、男子しかなれない世界で稀有の天皇制がある。

万世一系の制度であるが故に、国民の畏敬は強く世界の注目度にも相当のものがある。しかし、最近その天皇制に民主社会の平等に基づく合理主義を持ち込もうとする動きがあるようだ。

天皇を漸次身近なのものにし、そのうち対等意識を生み出し、挙句に廃止に持ち込む遠大な魂胆を持つ勢力が存在しているのである。

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