日米修好商条約が締結された1858年7月29日

羊頭狗肉の如き「民族の解放、民主と自由」と云う目標を憲法の前文に掲げた中華人民共和国による東アジア等における不穏な動きが生じている昨今、日米修好商条約が締結された7月29日(1858年)、日米安保条約や有志連合で論議が起きていることもあり、国際社会の荒波と取り組んだ黒船来航当時のことが偲ばれた。

米国の自由主義と民主主義に基づく価値観が、現在、国外の自由主義や民主主義をうまく利用しながら国家を強大化させ、その勢いで覇権主義の触手を世界的に伸ばそうとしている新らしい型での帝国主義・習近平支那共産国に対抗する動きを示している。個人的には嫌いではないが、決して言行が良いとも云えない、また横柄とも思えるトランプ氏が大統領の地位につき、あたかも政治の公平がビジネスの公平であるかの如き姿勢で、支那はもとより友好国にまで影響力を行使しようとしているが、しかし、そのうち対支那姿勢についてはその背後にトランプ大統領的な単純さに基づいているものとは思えない連邦議会の動きをも連動させた米国の政治家、有識者等に芽生えた自由で民主的な体制を維持しようとする政治的な価値観が存在する。それ故、トランプ大統領の対支那姿勢についての米国は挙国一致した姿勢を貫いているような気がしている。

横柄さと云えば、大戦後GHQの最高司令官として来日したマッカ-サ-もそうであったが、そのマッカ-サ-がポ-ハタン号に掲げられた星条旗によって意識したペリ-もまた同様であった。彼はわが国を目指すに際してわが国に関する情報を吟味していながら、長崎に向かうことなくわが国のしきたりを全く無視して江戸湾を目指したのである。トランプ大統領が初来日した際、横田基地から入国したのはまさかそのようなペリ-の姿勢に学んだものではあるまい。

ともあれ、1850年代はわが国にとって内憂外患の国難が生じた時代であった。中でも当初の米国による土足でわが国に踏み込もうとした姿勢や、世界に覇を誇った英国の存在は、わが国にとって不気味であったであろう。

そのような中で米国と対日通商の先陣争いをしたロシアは礼を守り誠意を示した国であった。実際、誠実な姿勢をとったプチャ-チンの外交姿勢には日本人の共感を呼ぶものがあったのである。当時はまだ不十分とは云え、クリミア戦争の情報をもつわが国としてはアヘンの売買で不当に清国に戦争を仕掛けて香港を手に入れた英国の動きはとりわけ心配であったろう。好感があったとは云え、その英国と争ったロシアとの接近には戸惑いもあったかも知れない。中立的姿勢に疑問を持たれることを恐れて安易にロシアに近づくことには一抹の不安があったに相違なかったと思うのだ。特に1958年は怪しげな雰囲気が漂った年で、事実その年には英国はフランスと組み清国と第二次アヘン戦争(アロ-戦争)を行った。その第二次アヘン戦争では清国が頼りとした「韃靼騎兵隊」も英仏軍の敵ではなく西洋の強さを示した証拠でしかなかった。そのことにはわが国としても驚いたに相違ない。

井伊直弼の「赤備え」程度では英国の矛先がわが国に向かった場合に対応できないことなど容易に想像できたと思うのだ。その当時の英国にはアヘン戦争に示されている如く、こんにちの支那国に似て、傍若無人のところがあり、わが国に対して何を云いがかりにして来るか解らないない時代であった。わが国との通商を独占し世界に勢力を有していたオランダも各地で英国に荒らされていただけでなく、日本との通商もまた米国やロシアによって縮減されそうになっていた。

国際社会の不安な雰囲気の中でオランダを頼りにするには国力は落ち過ぎていた。そのような中でわが国にとって誠意が窺われたロシアと手を組む意見もかなりに存在した。そのような中で川路聖謨はロシア人の振る舞いにも冷徹な姿勢で警戒を怠らなかったらしい。にも拘わらず、川路はロシア人を魅了したと云うことだ。ともあれ案の定、そのロシアは対馬を狙っていた英国の動きに先んじて後に対馬に上陸してその地を強引に占拠しようとした。そのように国力のなかったわが国が苦悩した当時が創想像的に偲ばれたのだ。

こんにち少なくとも言葉の上ではトランプ大統領にはわが国のために戦う気がある。否いま、日米安保には盤石の感がある。こんにちの米国のかつてのロシアとの対日姿勢には雲泥の差があるのだ。その米国の支那共産国に対する姿勢は厳しい。ところが、わが安倍政権は尖閣やその他のわが海域で支那国による侵犯が起きている状況で、いかなる思いからか、民族抑圧だけでなく新帝国主義実行の一環としてわが領海を侵犯させている張本人習近平氏を国賓として招こうとしている。

わが国財界にも支那共産国の(しばしば国家の意思通りに動く)企業と連携する動きがある。そのような動きが日米修好通商条約締結当時潜在した反米的姿勢と同様のものによるものとは思わないが。かつてと異なり、国力が無いわけではなく、それでいて能天気に思える一時期安定的に、そしてほぼ完璧に見えていた安倍日本は、こんにち一体どこを向いているのであろうか。

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