支那・天安門事件

支那・天安門事件の真実

「香港デモを第二の天安門事件にしてはならない」

中国共産党が自国人民・世界的にも決して真実を知られたくない人民解放軍の残虐行為が英国機密文書公開によって明らかになった。

わが国日本は、支那と隣接している位置にあるため、人から人への伝達情報が早く、現在のようなネット環境が整っていなかった時代でも、この事件がどういったものだったかと云う事を1989年の事件当時からある程度までは知り得ていた。しかし、バブル経済絶頂期で、若者達の多くが、原宿ホコテン通りで歌を唄い、踊り「自由」と云うものを持て遊んでいた時代であり、支那の若者達の胸の内に秘めた「自由」とは、天と地ほどの差があったのである。

支那共産党は、現在に至っても、情報統制を徹底しており、自国が犯した非人道的虐殺や重大な戦争犯罪に対する公式な謝罪はおろか、それ以前に、こういった事実さえ認めようとしていない。韓国に資金提供し世界各国で「反日工作」を繰り広げ日本に対しては常に謝罪と賠償を求めさせている事は、現在、日本人の大半が知るところである。

1989年6月4日、民主化を求める中国人民、学生が、北京・天安門広場に結集し反共デモを繰り広げた。この一般市民から成るデモ隊に対し、中国人民解放軍無差別発砲や装甲車で轢き殺す武力弾圧を強行したのだ。支那共産党政府は、事件15日後の6月19日、死者は学生36名を含め民間人218名と人民解放軍兵士10名、警察官13名の計241名。負傷者は7000名と発表したが、今回、英国で公開された機密文書には、実際は少なくても約1万人の一般市民が殺害されていたとされる内容が記してあったのである。

支那共産党政府発表の約50倍なのだ。

昨年12月、英国BBC放送、英紙インディペンデントや仏通信AFP他、欧米主要メディアが一斉報道したが、実際のこの数字の出所は、当時駐中英国大使、A・ドラルド卿が、事件翌日に英国政府宛に打電した機密公電の中から出てきた事案であるのだ。

機密(極秘)公電は、現在、ロンドン英国国立公文書館に保管されているが、機密指定解除された昨年10月、これを受け香港01ニュースサイトが閲覧し、最初に報道したのだ。

前出のアラン卿の情報源は、支那国務院の友人によって聞いた情報を伝えて来たとする人物で、6月3日から4日の大虐殺の状況説明がなされている。

支那国務院と云う機関は、支那を実質的に支配している内閣の事を指す。議長は、首相が務めていると云った事から考えても、この案件は極めて信用できる内容だと云えるであろう。

アラン卿の打電内容として、英国インディペンデントでは……

・「天安門広場に集結した大多数の人民、学生に残虐行為を行った軍は、山西省の人民解放軍陸軍、第27部隊で、彼等の識字率は40%しか無く(原始的、幼稚な集団)だと云われていた。

・当時の中国最高指導者である、鄧小平が指揮を執る共産主義政府が最も信頼でき、従順であると云った理由から第27部隊を選んだと見られる。

・「第27部隊軍」の装甲兵員輸送車(APC)は群衆を銃撃した後、彼等(遺体)の上を走って行った。APCは時速64キロの速度で、軍隊や一般市民を轢いていった。

・集結した、学生、人民達は、天安門広場から退去するまでの時間として、1時間の猶予を与えられたと考えていた。

しかし、5分後、APCが攻撃を開始した。

生き残った約1000人にも無差別に機関銃で攻撃した。

・学生達は、腕を組んで対抗しようとしたが(APC)に轢き殺された。

そしてAPCは何度も遺体をひいて【人間パイ】を作りブルドーザーが遺体を集めた。

集められた遺体は償却処分され、ホースで排水溝に流された。

・負傷した女子学生4人が命乞いをしたが、銃剣で刺された。

そして、負傷した3歳の娘を助けようとした母親が銃殺された。この子供を助けようとした6人ほどの人達も銃殺された。

・第27部隊軍は、DAM弾を使用していた。

そして、この軍の狙撃兵は建物のバルコニーや路上にいる一般市民を標的銃撃練習の的にしていた。

北京の病院は、(軍の)治安部隊の負傷者のみを受け入れるよう指示された。

・最初の大量殺戮の波が過ぎ去った後も、虐殺は続いた。

・生き残った1000人は、脱出出来ると聞かされていたが、特別に用意された機関銃で掃射された。

負傷者を助けようとした救急車も銃撃され、乗務員は殺害された。

アラン卿は、最後の打電で・・

『少なく見積もっても、一般市民1万人が命を落とした』

と、報告した。

また、軍の兵士同士を殺害させたとの内容も含まれていたのである。自由を求めた人達が、支那政府に対しデモ行動を起こし、中国全土、約400もの都市で数週間に渡り繰り返し行ったのだ。そして、1989年6月3日から4日の夜が、天安門広場での抗議行動のピークであった。

日本の親中政治家の者達は、常日頃から「人権尊重」と騒いでいるが、その支那が、この様な人権無視、他に類の無い非道な行為を行った事実をどう説明するのであろうか。この支那の内戦とも云える抗議行動に対する支那政府の鎮圧のやり方は、明らかにやり過ぎていたのだ。

そして、支那政府発表である死者数がたった200人~300人、支那赤十字も死者数2700人と推計発表したが、これも現実とは掛け離れた少な過ぎる人数だ。

2014年、米国機密文書公開で明らかになった、支那人民解放軍関係者の話しから、支那共産党政府が天安門での大虐殺の死者(犠牲者)を、10454人だとしていると記されいる。アラン卿の打電によって出された人数と殆ど変わらない数字である。支那共産党は、この天安門での大虐殺の死者の人数に対して「知らぬ存ぜぬ」決して認めようとはしておらず、将来的にも無視を決め込む事であろう。

現在に至るまで、この一連の事件で命を落とした人達の追悼は一切禁止されている。

日本に対し、南京大虐殺と銘打って世界中でプロパカンダを展開している支那共産党は、自国民の眼を外へ向けさせ内戦勃発が起きる事が無いよう非常に神経を使っている。「天安門」の事案を国内のネット上での議論はもちろんの事、海外のサイトにすらアクセス禁止、徹底した情報統制を敷いているのである。支那と云う国家の歴史上、ずっと繰り返し行われて来た事案であるため、全てを知り得ている隣国日本では「また同じ事が繰り返されている」といった捉え方が出来るが、共産国家に生を受けたが故の不運によって、本来であれば「自由」と云う当然の権利を持つ支那人民には憐れみの念を抱かざるを得ない。

現在「日本 = 悪」だと人民を洗脳している支那共産党は、反日プロパカンダをする前に、「天安門」で亡くなられた何の罪も無い自国民に対し、追悼碑くらいは設置し尚、供養する事が当然だと云えるのである。また、支那が発信している日本軍による「南京大虐殺」とは、日本人を無差別虐殺した「通州事件」との呼称を入れ替えただけだと云う証拠は数多く現存している。南京大虐殺で犠牲になった支那人民は、30万人を超えるとしているが、当時の南京の人口は20万人であった。

日本軍が南京に駐留したのは4日間のみ。この間、何処から10万人もの中国人を連れて来たのであろうか??…

そして、南京人民を全て虐殺する事が、この4日間だけで出来るものなのであろうか??…

最近では犠牲者が30万人から50万人にまでに増えると云った事にまでなっているのだ。この様な誰が聞いてもおかしいといった数字の盛り方自体、捏造だと云う事を如実に表しているものだ。

わが日本は逃げも隠れもしはしない。

正々堂々と国際司法裁判で主張して欲しいものだ。

しかし…

現在の支那共産党が存続する限り不可能な事だと云わざるを得まい。

現在、香港で大規模デモが起きている。決して第二の天安門にしてはならない。

国際社会は慎重に推移を見ていかなければならない。

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