日本国・大和民族は何故アジア文化圏ではなく欧米文化圏の中で生きて行こうとするのか? 第一稿

日本国・大和民族は何故アジア文化圏ではなく欧米文化圏の中で生きて行こうとするのか? 第一稿

「華夷秩序に拒否感を抱く日本人」 2017-12-27

地球儀を眺め、大まかではあるが陸地の端と端には、海に接するわが日本・東南アジア、反対側に東西ヨーロッパが位置している。

中間に位置しているのが、支那・ロシア・トルコ・インド等の旧4大帝国である。トランプ米大統領、初のアジア歴訪時に表面化した事案の中で、同盟国である日本と韓国の対米姿勢における「明確な差」が浮き彫りとなった。トランプ大統領に相対し、誠実・信頼・共通の価値観を持つ日本を徹底して訴えかけた安倍総理とは対照的に韓国 文在寅大統領は、本人も事ある度に発信して来た、米支バランス外交の姿勢を打ち出した。同盟国として、お互いが必要とされる時に互いの道を進む努力によって支えられると云う事実を踏まえると、わが日本が米国にとって必要な「心から信頼出来る友」であると明確に表現した安倍首相の対応は非常に高く評価できる。

サミュエル・ハンティントン「米国国際政治学者」が、冷戦終結後発表した「文明の衝突と世界秩序の再編」のなかで日本の米国との同盟に対する見解は「基本的には、大国への追随政策であり、隣接する国との勢力均衡政策ではなく、超大国との提携」だと記している。彼は「日本の指導者、国民が、過去数十年と同じかたちで超大国アメリカの傘の下にいるほうが、理想的には良いと思っているのは間違いない。しかし、アジアにおけるアメリカの影響力が小さくなると、日本は「再びアジア化」すべきだとする考えが日本国内で勢いを増し、東アジアの舞台で支那が改めて強い影響力を持つようになるのは避けられないと考えだすだろう」としている。

彼の論理の中で、1つは当てはまり、1つは当てはまらないと考える。現時点で、東アジアでの影響力を拡大している支那の浮上とオバマ前大統領時に発信された「米国は世界の警察の役目を降りる」とし退潮した米国。この点は間違いではなかったが、支那の台頭に伴い、わが日本が対支那政策において、支那共産国の影響力を受け入れるとした点は間違いだ。わが日本国、日本人の大多数は「建国以来、対支那との戦争で負けた事が無い」と云う事と、何よりも自由陣営と共産陣営との大きく違う価値観と云うものを先天的に嗅ぎ分ける事が出来る民族なのだと云えるであろう。先に書いた韓国の事大主義の様な在り方を受け入れることは無く、支那に支配されるくらいなら「最後まで戦って散ろう」と云う気概を持っているのがわが日本大和民族なのではなかろうか。

書いておいて無責任だが最近のことは知らん。

それはさておき

この様な概念を持ち合わせているのは、世界的に見ても日本人しかいないのではないかとも思っている。

ある種、日本人の「美学」と言えるであろう。

しかし、旧民主党が政権を握った3年3ヶ月の間「対支那接近政策」が押し進められ、この様な概念を持っている日本人の考えとは真逆に動き出し停滞を余儀なくされたが、現在のようにネットから情報を得る人はまだまだ少数で、マスメディア報道からの情報を何の疑問も持たず受け入れていた。そして、戦後の自虐教育・史観によって、自分自身で考え判断すると云う事を放棄してしまった弊害とあい重なり国家滅亡一歩手前まで没落してしまったのである。これは、根本的に違った日本の政治風土を世界にまで拡散させてしまい、米国は非常に危険視したのである。幸い、日本の尖閣諸島国有化により支那で大規模な反日デモが激化し、旧民主党の方針に沿わない日本人の対支那感情を冷却させたのだ。また、これは民主党の破綻までも意味する事になったのである。民主党の対支那、対韓国政策がわが日本の国益には決して沿うものでは無いと云う事を日本人の大多数が知ってしまったのだ。

第二次安倍内閣が発足し、その政策を大きく後押ししたのもこの様な背景があったればこそだったのである。安倍政権の政策は「自由・民主主義・人権・法の支配」と云う普遍的な概念をベースに持つ各国との連携強化、開かれた国家間関係の構築を反映して行くと云うもので、誰の目から見ても対支那を意識しての事だと理解できる。具体的には、米国が離脱してしまっても推進しているTPP、日米豪印から成る、セキュリティダイヤモンド構想、自衛隊の軍事力増強等があげられる。また、対韓国関係の冷却は、韓国が見せる支那へのあからさまな事大主義を日本人が冷静に、そして冷めた目で見ている事が根本的な部分の大半を占めているからではないだろうか。もちろん、民族性の大きな違いは言うに及ばずであるが。……

属国根性丸出し、米国、支那のどちら付かずのコウモリ姿勢は、日本人の民族性では到底受け入れる事は出来ない。かの国の嘘・捏造・欺瞞といったものも一切受け付けないのがわが日本人なのだ。大国の狭間で、1000年以上属国として、中華の時の皇帝の使者を三跪九叩頭の礼にて出迎え忠誠を誓ってさえいれば成り立って来た国、国民が、そう易々と変われるはずも無く、この様な状況下において、国家としての文明・文化が育まれるはずも無いのだ。

そこで、日本人の概念の在り方、日本国の道標となっている「文明・文化」と云った要素を次稿にて書いていきたいと思う。

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Google フォト

Google アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中