日本国・大和民族は何故アジア文化圏ではなく欧米文化圏の中で生きて行こうとするのか? 第三稿

「華夷秩序に拒否感を抱く日本人」2018-01-03

日本は、江戸時代には、社会構造がほぼ出来上がっていた。 朝廷・公家 = 権威

武家 = 権力

豪農・商人 = 富

上記の様な構造が江戸期に既に出現していたのである。そして、武家が権力を行使する範囲が及ぶのは、日本国中で細分化されていたのだ。この様な統治の在り方は、権力を私する事が出来ず、行使する事も抑制されたものであったのだ。現在の支那は自国の発展と共に、世界的にどの様な影響を及ぼして行くのか?… どういったものを残す事が出来るのか?…

日本人の目からだけで無く、世界中から見ても、現在の支那が世界史上何かを残せるのでは?… と云ったイメージは全くと言っていい程ないと云えるだろう。

勿論、その様に見ていない人間、国も当然あるのだが…

18世紀、覇権国家英国は、産業革命、自由貿易、アダム・スミスに代表される経済学やアイザック・ニュートンの物理学等における学術。また「背広と紅茶」に代表される様な英国生活様式を残した。そして20世紀、英国を引き継いだ米国は、自由・民主主義「コカコーラ・ハンバーガー・ジーンズ」と云う米国生活様式を世界中に広めたのである。こう云った理念や文化と云ったものは、万民が良いものである事を認めなければ決して残す事ができない。そして支那共産党は、自国の発展と共に何を残し広めたであろうか?…… 権力と金の亡者、独裁、言論の自由が無い嘘と欺瞞、面子、環境汚染、環境破壊、低民度…… ざっとこの様な事しか思い浮かばない。人間の美徳、美学など一切無く、人を惹きつける様な魅力も皆無、ただの成金としか映っていないのが現実である。これもまたわが日本人が支那に対して距離を置く理由だと云えるだろう。こうした事から、近代以降の日本は、西欧列強に組みする事こそが自然な流れだったのだ。「民主主義・自由・人権・法の支配」と云った、これら現代における価値観と云うものに対し、日本人が築いて来た「文化・文明」と相入れるものだったが故に何の抵抗感も疑問も抱く事無く受け入れる事ができたのである。

明治以降、英国と同盟を結び、第2次大戦後に米国と同盟を結んだ事は、敗戦国の日本が覇権国家である英国、米国に付き従うと云う事では決してなく「文明・文化」の価値観が同列であったからこそだったと云える。その結果が日本の発展、成功に結びついたのだ。確かにオバマ大統領、8年間の在任中に米国は退潮著しく支那の南シナ海での軍事基地建設を許してしまい、「忍耐的戦略」と銘打って北朝鮮に核開発の時間を与えてしまった事は事実である。しかしこの様な曖昧な戦略は誤りだったのだと米国国民が選んだ大統領が、アメリカ・ファースト、強い米国を取り戻すと訴え出たトランプ大統領だったのだ。

「ロシアゲート」を掲げ、トランプを引き摺り降ろそうとしている勢力が連日トランプ下げの報道をしているが、現在のネット社会の環境下では焼け石に水状態であろう。トランプ大統領は、ただただ強い米国へ戻そうとしているに過ぎないのである。わが日本、日本人の多くは強い米国への回帰を疑う事はない。その根源にあるものが、文明・文化、共通の価値観だと云う事なのだ。この様な角度から見ても価値観が違う支那とは一線を画して行く事であろう。そして今後、現在よりもっと距離を置く事になると考えられる。(一部親中派議員、経済人は除く)日本と米国、西欧諸国との共通点は、文明・文化の価値観、中世封建体制から近代封建体制へと移行する歳月を経て築いた、民主主義・自由・人権・法の支配と云う価値観、これらを組み入れた事だ。そして中世封建体制を経て来なかった故に古代からの専制と服従の様相を残したまま現代にまで至ってしまった支那、ロシア、朝鮮半島と比較した時にはっきりとした違いが見えて来る。しかし、違いが見えているにも関わらず、地政学上、支那、ロシア、朝鮮半島と相対して行かなければならないわが日本の事情は変わり様がないのだ。これからの日本の対外的な姿勢として、隣国に対しての距離感をどう推し量って行くか? と云う事が肝要なのではないだろうか。

大戦前の大日本帝国が掲げた「大東亜共栄圏」とは、一つのアジア、アジアを赤化させない事とアジア諸国の植民地解放と云う壮大な戦略であった。米国の介入により戦略は頓挫、敗北で終わったが、米国が日本に取って変わりアジア政策を進めるにあたり、米国指導者達は皆、アジア政策が非常に困難だと云う事を目の当たりにするに至った。そして赤化の防波堤であった日本を潰してしまった愚行。

との結論に達したのである。…

現在、米国は中東もカオス、アジアもカオスとしてしまっているのである。日本が、支那・朝鮮との一定の距離を持つ際の前提として、日本と特亜国とは互いに文化・文明の圏域が全く違うのだと云う事を日本人に徹底して意識させていかなければならない。アジア圏から遠く離れた国々では、日本も支那も朝鮮半島も同じアジア人、肌の色も同じ、同じ漢字圏、(韓国は例外)節句などの風習も同じと云う事で全てを同一と考えている国が殆どなのである。同盟国の米国でさえも最近になって多少解り始めたと云えるくらいなのだ。

アジアの国々の中で、わが日本の基本的価値観が西欧諸国と同一だとは夢夢考えていなかったのである。

結局「一つのアジア」と云う理想は、壮大な虚構だったのだと云えるであろう。

また次稿にて

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