「易姓革命」第二稿

易姓革命から見えてくる韓国のアイデンティティ

2018-02-05

韓国と云う国家には「ある程度」と云うものが皆無だ。徹底的にやり尽くし「今の王朝」が「前の王朝」のすべてを完全に否定しないと、今の王朝の正統性が確保されないと云う思想があるのだ。日本人は時代の流れ、移り変わりの中で「ある程度・限度」といった事を心得ている故に、一定以上になる前で止まる事が出来る。しかし、朝鮮民族は、事大主義と云う側面を持ち長きに渡り、明、清の属国だった事から独自の政治思想も文化も育む事が出来なかったのである。

大きな枠としては「中国歴代王朝属国の否定」「大日本帝国併合時代の否定」があり、小さなものとしては「前大統領の否定」がある。韓国歴代大統領は、自殺、暗殺、逮捕、懲役等、みな悲惨極まりない末路を辿っているのである。また、日本に併合されたと云う劣等感そのままの反日が国是になっているのだ。

彼の国では…

「その政策や文化が良いものかどうか?」

と云う事よりも…

「その政策や文化を創ったのは誰か? 」

「その政策や文化に正統性はあるのか?」を基準にして考えるのである。

正統性を「錦の御旗」で手に入れる事の出来ない彼の国は、破壊や書き換えによって正統性を確保しようとするのだ。嘘も100回言えば真実になるといった様にである。反日教育を子供の頃から受けさせ洗脳させ、時系列や辻褄が合わなくなってもまた嘘を塗り重ねる。

日韓の慰安婦問題がいい例で、元慰安婦だという老女の証言はことごとく捏造されたものであって、証言が証拠だと開き直る様は呆れを通り越し哀れでさえある。韓国人の起源へのこだわりの強さも、この思想の影響なのである。

「桜が美しいものかどうか」よりも「桜の起源はどこか?正統性はあるのか??」… がその文化を守るかどうかの基準になるという事なのだ。桜が前王朝の大日本帝国のものなら破壊しなければならないが、韓国起源と云う事に捏造すれば守れる。もちろん韓国人の多くはこういったことを意識してはいないであろう。それは、かの民族の概念では極当たり前の事だからである。永久に混乱と分裂と破壊を繰り返すしかない意識構造が、かの国の思想文化のなかに溶け込んでいると云う事なのだ。

100年以上前、福沢諭吉は「脱亜論」でこう説いている。

「左(さ)れば、今日の謀(はかりごと)を為すに、我国は隣国の開明を待て共に亜細亜を興(おこ)すの猶予(ゆうよ)あるべからず、寧(むし)ろ、其(その)伍を脱して西洋の文明国と進退を共にし、其(その)支那、朝鮮に接するの法も隣国なるが故にとて特別の会釈に及ばず、正(まさ)に西洋人が之に接するの風に従て処分すべきのみ。悪友を親しむ者は共に悪名を免(まぬ)かるべからず。我れは心に於て亜細亜東方の悪友を謝絶するものなり。

以上

こういった例からも解るように、拙ブログでも幾度となく述べているが、日本・支那・朝鮮半島を同列のアジア国と一括りにする事は決して出来るものではない。

かの民族と、我が大和民族は、価値観・思想・理念・概念といったものが根底から違うという事なのである。

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