「易姓革命」第一稿

易姓革命から見えてくる韓国のアイデンティティ

2018-02-03

韓国と云う国は現在も懸命に「易姓革命」を行っている。その価値観の源泉は中華思想、儒教、朱子学である。

「正統性を確保するために前の時代を否定する」

といった価値観はある。どの時代、どの国家にもある事だ。もちろん、日本においても幾度も繰り返し行われてきたものである。こうした事からまずわが国の事案から書きおこしていきたいと思う。

わが国日本は「明治維新・一新」から今年で150年の節目を迎えた。

「維新」だけではなく「一新」と云う言語を併記している事の理由として、1867年の大政奉還から1877年の西南戦争終結までの一連の改革・事件のことを、日本史の通説では明治維新としている。(1889年2月の大日本帝国憲法までを含める場合もある。)当代の日本人は皆、当然の如くこの様に知り得ているが、当時のこの革命に対する呼称は曖昧にて、いくつもの呼称が用いられていた。そうした呼称の中の一つに「一新」と云うものがあり、いろいろな呼称の中から「一から新しく」と云う意味合いを持つものとして私の独断から敢えて書き加えさせて頂いた。これは「維新」と云う呼称が一般的に用いられるようになったのが、明治7~8年くらいから定着したとの事だからである。

安倍総理は年頭所感で、この節目を強く訴え、現在の日本を当時と重ね合わせ、150年前と同じようにこの国を改革、革新して行くと力説したが、「明治維新・一新」とは、当代日本人が想い描いているものとは随分違うものだと云う事実もあるのだ。

輝かしいものには、必ず影も存在する。「明治維新・一新」以降、薩摩・長州の所謂官軍勢力が「勝てば官軍」よろしくそのままにプロパガンダを展開し、江戸徳川将軍家、会津、越後長岡など、他多くの藩を「賊軍」として蔑み、自分達の「正統性」を広く伝えようと苦心していたのもまた確かな事なのである。「明治維新・一新」が日本国の近代化へと歩み出す華やかな革命だと云った事も、薩摩・長州の「勝てば官軍」勢力によって美化され、私達もその様に教育を受け、また聞き及んでも来た。

安倍総理は長州の産である。

当時の薩摩・長州の「正統性」を主張する事に異論がある訳ではないが「明治維新・一新」の輝かしい歴史の表舞台だけで無く、その影で生きた先人達の中には「賊軍」とのレッテル貼りをされ、立身出世も叶わなかった負の歴史であったとする人間も少なからず存在したと云う事実も日本人として、共有するべきであろう。

「明治維新」の「維新」と云う言語も、明治時代が安定して来た頃より使われ始めたものであり、徳川家の250年に及ぶ統治を根本から覆した事案から、輝かしいものだと語られる半面、正反対の事を語り継いで来た人達も必ず存在していたのだと云う事を忘れてはならないのではなか。

「歴史とは勝者によって書き換えられて来た」とは、まさにこの様な事なのだ。そして我が国が大戦で米国に敗れた後、全く同じ様にGHQ政策によって米国の都合の良いように書き換えられたと云う事は米国が官軍となったが故の事であるのだ。賊軍の日本は、現在に至っても尚この呪縛から解かれないままでいるのである。

時代を遡り、古代から中世、そして明治に至るまでの日本史を考えた時、日本国で一番最後に(最初で最後だとの考え)「易姓革命」を行なったのは古代天皇家なのだと推察している。そのために古事記を創り日本書紀を創ったのであろう。日本の古代史を形成し、日本国の正統性が天皇にあるということを描いた訳である。我々日本大和民族の歴史はそこから始まったのだ。そしてそれは、見方によっては真実ではないのだが、またもう一方での見方によっては紛れもない真実なのだ。それ以前の歴史が解りづらくなったという側面もあるが、はるか昔のことなので、それ以上にそれ以後の大きな歴史の書き替えがなくなった事が大きいのである。

「余談だが、邪馬台国の場所が分からなくなった原因は、この最後の易姓革命にある。だから卑弥呼は天皇の祖先ではないのではないか。と考えている。あくまでも私見だが。…

日本は天皇陛下を戴く事によって「易姓革命」をしなくてよくなり、華夷秩序から抜け出すこともできたのである。施政者が代わるたび、前の時代を完全否定する必要がなくなったのではないかと考えている。わが日本において、「時の権力者」は「錦の御旗」を得るだけで良いということになったのだ。

明治開国以降、第二次大戦を経て紆曲歪曲はあったものの、それは今現在も変わっていない。現在も、内閣総理大臣を任命するのは天皇陛下なのだ。平安時代などは貴族社会だったので、時の権力者たる藤原家の「錦の御旗」を手に入れる方法は、娘を入内させてその子供の後見人になるというものであったが、その後どんどん形式化が進行した。若い頃はこの重要性が理解出来ずにいた。「ただの形式だけではないか」と…

例として「征夷大将軍」はいわば天皇の家来職である。それを江戸時代の徳川家まで使っていたのだ。征夷大将軍は奈良時代、平安時代にまで遡れる天皇の家来職だが、なぜ天下をとった徳川家が家来職を最高権力者の称号として大事に保ち続けていたのか?「形骸化した征夷大将軍という地位」や「内閣総理大臣を任命するのは天皇陛下」という「形式」にいったい何の意味があるのかと…

昔日はボンヤリ考えていただけであったが、こう云った形式の重要性は、むしろ「易姓革命による破壊の恐ろしさ」を知ったほうが理解できよう。日本は破壊や書き換えの易姓革命をしなくてもいい知恵を、はるか大昔に手に入れたのである。天皇陛下が日本にとってどう云うふうに大切な存在かと云うことを、情緒的に語るのではなく論理的に語るとするなら、まさにこれだと考えている。

日本が、古代から中世、そして近代までの長い歴史の中で、大きく揺れる事が無かったのは、天皇の存在が、日本人にとっての唯一無二の心の拠り所であったからではなかろうか。諸外国の事は民族性の違いから解からない事の方が多いが、これは日本国・日本人が長い歴史を通じて独自で手に入れた「国体を安定させ、文化を継承していくための究極のシステム」だったのであろうと考える。

「西欧ではキリスト教がこの役割を果たしていたのではないか?? と考えられるが… 」

そして韓国と云う国だが…

これは事項に書くこととしたい。

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