中国崩壊への考察「グローバル金融資本が進める経済難民の日本流入」第二稿 2016-07-25

前回からの続きとなる。

支那経済に関して、マスメディアや経済紙には様々な数字が羅列されているが、そもそも支那政府の統計発表は信用出来るものではない。そこで、前回書いたように支那共産国繁栄の時代は完全に終焉を迎えたのだと云う事を考えていきたい。まず、政治的条件と経済的条件、この両方を失ってしまっている。支那共産党はこれまで大変な繁栄を短期間で築き上げた。しかしそれは、高度な技術でも資本の集積でもない。貧しく金も無い、低賃金労働だけが山程あると云う国であった。それを豊かにする、海外から投資をして貰い日米欧などの工場を誘致して低賃金の労働者を雇ってもらい製品を作り輸出し外貨主導形、輸出主導形で経済を繁栄させて来たのだ。その真水で入って来た資金で国民を飢えから救い、自転車から自動車となり人民服も脱ぎ、徐々に内需も拡大して行く。

そう云う方針を図って来た。

日米欧、特に米国がそれをやる前提は何か??…

支那国は核武装もしている訳だが、前提は対外侵略をしないと云う事だ。「対外侵略をしないと約束してくれれば、日米欧は喜んで投資をしましょう」と云う取り決めだったのである。特に米国との関係が良くなると云う事が重要だった訳だ。そして繁栄のパターンが築かれた。ところが現在、支那国はそれを捨てようとしている。いや、もう捨てていると言っていいであろう。ウィグル、チベット、モンゴルもそうだが、南シナ海に対する侵略まで始めたのである。そもそも中華人民共和国の軍人、政治家は公海と云う概念を持ち合わせていない。「公の海」ここは何処の国も自由に航行しても良いのだと云う事。そういったものは国際法によって成り立っている。国際法を守れば自由なのだ。であるので中東からのシーレーンが妨害される心配は無く、妨害するとすれば第3国、海賊の類いのものしか存在しない。その場合は日本、米国、支那などが協力し合い妨害を防げば何も問題は無いのだが、支那と云う国は他国との外交関係と云うものを信用しない。そしてバランスオブパワーも信じられないのである。自国が多少優位を保っていれば、それで十分なのだと云う相手を完全に支配しなくても良いのがバランスオブパワーの考え方である。今、世界の主流の国々はそう云った考えを持っているのだ。ならば支那国もその様に他国との軋轢を生むような事はせず一緒にそこに参加すれば良い事なのだが、そういった考え方を支那の軍人、政治家はとれないのである。いつ自分達のシーレーン、中東からのエネルギーラインが断たれるかも知れないと云う不安から自国だけで南シナ海を制圧し領海、領域にしないと安心出来ないのだ。

支那共産党は1度として戦争に勝った事が無いためか戦略思考が欠除しているのである。現在、戦勝国顔しているが真っ赤なウソで日本と戦ったのは蒋介石国民党である。日本と戦って弱っている国民党を台湾に追い出してしまったのが真実だ。勝利したのは米国、国連軍だと云う事なのだ。これが現在の支那共産党を調子ずかせ異常な軍国主義国家、軍事膨張国家にしているのである。これは長年の支那共産党の政治的習性、歴史で育成されて来たものの考え方なのだ。なので現在先進国に勉強に出る人が居てもリーダー達はこの考え方を受け入れる事が出来ないでいるのだ。他国との関係は「支配するか!支配されるか!」としか思考出来ない大変困った国家、民族なのである。しかしここに来て支那もそろそろ体力の限界が来ている。かつてはどうだったか?

毛沢東、周恩来の時代1972年、米ニクソン大統領、キッシンジャーと毛沢東が握手をした。そして毛沢東も米国との関係を築く事によって文化大革命の騒乱を纏め最後まで支那の建国の父として君臨する事が出来た訳である。それはソ連の猛烈な圧力を受けて国内経済も上手くいっていなかった毛沢東を後押しした。米国はと云うと、ベトナムから手を引き、ソ連に対するためにも支那と組む必要があったのだ。当時の支那には今のような力はなかったが、共産主義の支那とソ連との間に楔を打つと云う事で支那を米国側へと戦略的に引きつけソ連を打倒する大戦略をニクソンは考えたのである。そして同時にベトナム戦争で北ベトナムが優位なうちにベトナムは統一されてしまうが、ベトナム戦争で米国国内からも反戦運動が高まり5万人の兵士を失ってまで続けられないとベトナムから引くもののこれに乗じて支那が東南アジア各国に革命を輸出したら困る。このため支那に革命の輸出を断念させる。その代わりに米支が組みソ連を追い込む。そう云う図式を構築したのだ。これがドミノ効果でもし支那、ソ連が後押ししている北ベトナムが勝ち他の国も押し並べて共産国家になられたら困るとした訳だが、残念ながらニクソンは支那とベトナムが本当は敵対していた事に気が付かなかったのだ。しかしこれが米支が組んだ理由である。本当の改革、解放路線をとる鄧小平の時、米国はカーター大統領だった。そして正式に米国と支那は国交を結ぶのである。米国は台湾との国交断絶とまではしなかったが、中華人民共和国との国交を樹立したのである。

その時に支那鄧小平と米国カーターとの間で交わされた約束は、「支那は台湾を侵略致しない」と云う事だった。その見返りに米国が中華人民共和国への全面的支援をする事になった訳である。毛沢東時代から鄧小平まで、そして将来もこの取り決めを守る。米国とは軍事的衝突は無しだという事で国交正常化し飴まで貰ったのだが、現在、習近平体制になり野望を隠さなくなったのである。これまでの米国との約束を反故にし軍事拡張路線に舵を切ったのだ。これにより米国は対支那投資を引き上げ、米国内回帰へと至った。米国の対支那に対する戦略変更が始まっている。これを欧州も、勿論わが日本も見ていることから、米国までとは行かないまでも静かに引き上げ始めたのだ。

ではまた次稿にて

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